明治44年、ブラジル・サンパウロ州政府の後援を受け、日本全国にコーヒーを広めるため「ブラジル移民の父」と呼ばれた一人の男によって設立された「カフェ・パウリスタ」。
この誰でも気軽にコーヒーの味が楽しめる「カフェ・パウリスタ」は全国の主要都市や繁華街に出店し、コーヒーの大衆化に重要な役割を果たしました。
しかし、大正12年の関東大震災によって壊滅的な打撃をうけ、さらにブラジルからのコーヒー無償提供の契約も切れたために、やむなく喫茶店経営から手を引くこととなります。
その「カフェ・パウリスタ」大阪焙煎工場の設備と経営権一切を引き受けて、新しく出発したのがダイヤモンド商会です。
その後、ダイヤモンド商会は「コーヒー界のパイオニア」として後進の同業者とも力をあわせ、コーヒーの嗜好開発に奮闘を続けましたが、昭和20年の終戦間近の大空襲によりすべてを失ってしまいました。
昭和26年秋にコーヒーの輸入が再開されたのを機に、元の場所に工場を再建し、わずか50kg焙煎機のみで営業を再開しました。
昭和30年代の会社風景
それから今日まで、皆様に愛される美味しいコーヒーを追い続け、信用と品質第一に歩んでいます。
|